アニメ「どろろ」をアマゾンプライムで観ました。
2019年に放送された手塚治虫漫画が原作のテレビアニメです。
百鬼丸がイケメンで強くカッコよく、どろろの声も行動もかわいい。
もっと話題になってもいいのに!?
といっても、
私もアニメの名前だけは知っていたのですが、時代劇っぽいのが面白くなさそうで子どもの頃は興味が全くありませんでした。
リメイクされてから観たのですが、
人間らしさを表現するさすが手塚治虫といった良い作品でした!
アニメどろろ
手塚治虫原作の漫画「どろろ」をもとにしたテレビアニメで、
2019年1月~6月にリメイクされて放送されています。
妖怪に奪われた自分の体を取り戻す為に
戦い続ける「百鬼丸」と盗賊の子「どろろ」との旅路を描いた作品です。
いつしか2人の間には、
いつもそばにいてくれる大切な人とも呼べる絆が生まれてきます。
アニメのストーリーと融合した歌も良かったです。
2期
ASIAN KUNG-FU GENERATION 「Dororo/解放区」 ←コレお勧め!
EVE 「闇夜」
ASIAN KUNG-FU GENERATION 「Dororo/解放区」の曲と
イラストが一番「どろろ」に合っていると思う。
鬼に食いつぶされそうな百鬼丸を明るい世界へ手をつないで導くところや
夫婦岩が見える海岸を2人で歩いていたり、
頬に手をあてて優しく見つめる姿。瞳にはどろろ。
協力して戦って、どろろの作る料理(焼いただけだけど)を百鬼丸が食べている姿。
最後の寄り添う稲穂。
純愛・女子ウケ抜群でしょう!
登場人物
どろろ
盗賊の父、火袋(ひぶくろ)と母、お自夜(おじや)の間に生まれる。両親とは死に別れて孤児となり、ひとりでこそ泥として生活しているところに百鬼丸と出会う。幼いながらも強固な精神力とどんな困難にも立ち向かう勇敢さを持ち、民にむごい扱いをして苦しめる侍が嫌い。身体能力は高く、大人数人にリンチされてもケロリとしているタフさがあり明るい。
少年のように見えるが、実際は女の子。
百鬼丸(ひゃっきまる)
国の繁栄と権力を得る為に、実父(醍醐景光)に、魔物(12体)に生贄(いけにえ)として差し出され、川に流され捨てられる。その為、百鬼丸には12箇所もの身体の欠損がある。医者の寿海(じゅかい)に助けられ、12箇所もの欠損部分を手製の義眼・義手・義足などで補ってもらい育てられる。身体を取り戻すために、12体の魔物全てを倒す旅に出る。一体の魔物を倒すごとに魔物が奪った体の一部が戻ってくる。義手に仕込んだ刀を振るって闘う。
多宝丸(たほうまる)
百鬼丸の実の弟で醍醐景光の後継者。醍醐の屋敷で何不自由なく育つ。領土を繁栄に導いた父(醍醐景光)を尊敬している。
醍醐景光(だいごかげみつ)
醍醐の国の主。百鬼丸と多宝丸の父。領土の繁栄の為に鬼神と取引し、我が息子、百鬼丸を生贄として差し出す。鬼神との契約の証として額に「×」印の傷跡がある。
縫の方(ぬいのかた)
醍醐景光の妻で百鬼丸・多宝丸の母。捨てられた我が子(百鬼丸)のことを思い続けている。
琵琶丸(びわまる)
百鬼丸とどろろの前に現れる謎の盲目の法師。百鬼丸とどろろを気にかけ手助けをする。背負っている琵琶の先は刀になっていて、剣の腕はたつ。
寿海(じゅかい)
川に流された百鬼丸を育てた医者。百鬼丸の名付け親でもある。百鬼丸に作り物の身体と剣術を与えた。
百鬼丸にとってのどろろ
どんな時も理解してくれる人、どろろ。
いつも自分のそばにいてくれる人、どろろ。
鬼になりそうなときに必死に止めてくれた人、どろろ。
自分の代わりに笑ったり泣いたり怒ったりしてくれた人、どろろ。
いろいろな話を聞かせて教えてくれた人、どろろ。
待ってくれる人、どろろ。
信じられる人、どろろ。
大切な人。
「どろろと同じように感じたい」
これが百鬼丸とどろろのポイントです。
百鬼丸はすべての身体を取り戻せば、どろろと同じように感じるようになれると思ってたけれど、実際はそうではありませんでした。体だけがやっと人間の身体になれたばかり。百鬼丸の目標は、自分の身体を取り戻す事だけでした。どろろのように感じる人間の心もまだこれから。
どろろの目標はもっと大きな夢、権力も戦いもない金の力で国を作るとか言い出す女傑。どんなに人からさげすまれても決して人間としての誇りを失わない強固な精神力の持ち主で心優しく勇敢。
鬼神も欲しがる生命力の百鬼丸(本来の世継ぎ)
×
親ゆずりのリーダーシップを持つどろろ(財力有り)
この2人が手を組んだら、豊かな黄金色の稲穂も国の繁栄も実現可能でしょう。
最終回 ネタバレとあらすじ解説
燃え始めた醍醐の城で、実弟の多宝丸と激しい戦いを続ける兄、百鬼丸。
百鬼丸は鬼神に操られていた多宝丸を追い詰めますが、
最後のとどめをさしませんでした。
「なぜ殺さないのか?」
多宝丸 は問います。
「わからない。ただ、同じだ。お前も。お前は、人だ。」
と百鬼丸は答えます。
百鬼丸の心眼(まだ目が見えない状態)には、
多宝丸の胸にぽっかりと空いた穴が見えていました。
五体のなかった百鬼丸と違い、五体満足の全ての健康な身体と両親の愛情を持って生まれ何不自由なく生きているかのように思えた多宝丸でしたが、心の中では隠された母の気持ちに気付いていて、いつも誰か(百鬼丸)が母親の心の中にいたことで寂しい思いをしていたのです。
兄:百鬼丸にはない丈夫な身体と家族を持っていたけれども、隠された母の愛情は百鬼丸が持っていたのです。
兄上
殺そうと思えば殺せたのに百鬼丸は、弟(多宝丸)を討ちませんでした。
多宝丸「かなわないな・・・。これまでも、ずっとかなわなかった。」
ここで多宝丸は、憎んでいた兄への確執を無くし闘うことをやめます。
そして、最後の力を振り絞り鬼神に取られた百鬼丸の目を自らむしり取り
「兄上!お返しします。」
と目を百鬼丸へ差し出したのです。
ここで初めて多宝丸は、百鬼丸のことを兄上と呼んでいます。
焼け崩れていく天守閣の中で、ついに百鬼丸は最後の体の一部、目を取り戻しますが、
その激痛で倒れこんでしまいます。
倒れた百鬼丸の上に焼けた梁(はり)が落ちて来た時、
そこでも多宝丸は「兄上!」と叫び気遣います。
ここで、兄弟間の確執も完全に和解したのだと思われます。
縫の方と寿海
燃える梁を避けて百鬼丸を助けたのは、
城へたどり着いた縫の方と寿海でした。
その時、百鬼丸は初めて母:縫の方に抱きしめられます。
母の手のぬくもりに「あったかい。」とつぶやきます。
初めて母の愛を感じられたことでしょう。
縫の方、寿海、多宝丸は、炎に包まれる醍醐の城の中で
死を覚悟するかのように留まります。
百鬼丸が城を離れる際に炎の中でかすかに視力が戻りはじめ、百鬼丸が見たのは
初めて見る二人の「おっかちゃん」(育ての親:寿海 生みの親:縫の方)の姿と
横たわる弟、多宝丸。
なぜ2人は、燃え落ちる天守閣から逃げなかったのか
縫の方・・・百鬼丸のそばにどろろが居たから、安心して多宝丸に寄り添うことができたのでしょう。瀕死の多宝丸と共にずっとそばにいようとしたのだと思われます。今まで百鬼丸のことを考え、十分な愛情を多宝丸に注いで来られなかったから。
寿海・・・過去の罪の呪縛から死に場所を探し続けていた寿海。焼け落ちる城に残ることを選んだと思われます。
旅立ち
両親が残してくれた大金を使って、侍や鬼神に頼らない生き方を村人と模索するどろろ。
百鬼丸は「確かめたいことがある。」とどろろを残してひとりで旅に出てしまいます。
百鬼丸は地獄堂で父:醍醐景光に出会います。
百鬼丸を鬼神に捧げた鬼のような憎い父:醍醐景光でしたが、
百鬼丸は父を殺すことはしませんでした。
帰って来ない百鬼丸を心配するどろろに琵琶丸が言います。
「あの子はやっと生まれたとこなんだ、これから人の道を歩きなおさなきゃならねえ。そいつを確かめてえんだろうよ」
百鬼丸は、人として生きていく道を確かめる旅に出たと考察できます。
百鬼丸の旅は
「もしまた百鬼丸が道を間違えりゃお前さんだって無事でいられる保証はねぇし」(琵琶丸)
「大丈夫だよアニキはもう大丈夫だって」(どろろ)
「だからさ、そいつを確かめてぇんだろうよ」(琵琶丸)
という会話で、
どろろと一緒に暮らすために必要な旅だったのだと思われます。
前述のとおり「どろろと同じように感じたい」と思っていたから。
百鬼丸は、旅立つ時にお守りのように持っていた種籾(たねもみ)袋を見ています。
この種籾は、殺された美央(みお)の夢。豊かな土地を見つけて米を作り、 身寄りのない子どもたちとお腹いっぱいごはんが食べられるようにしたいという夢です。好意を抱いていた美央が殺され、怒りに支配された百鬼丸は魔物でない人間を次々と殺していった時に、この美央の種籾をどろろに見せられることによって我に返りました。
一人旅に出て、美央の夢やどろろの壮大な夢を一緒に協力できるような人間になったのを確かめることができた時には、帰って来て村でどろろと一緒に米を育て村を盛り上げ豊かな土地と安心して暮らせる生活をしようと思っていたのだと思います。
個人的には美央の事は忘れて、どろろだけを見ていて欲しい。。
最終回のエンディングのイラスト
どろろの最後は、稲穂を思わせる一面黄金に輝く上に架かる橋のシーンでした。
数年かけて広大な稲畑にしたのでしょう。台詞も解説もありません。
橋の上を綺麗な女性が嬉しそうに走っています。(おそらく、美しく成長したどろろ)
その向かう先には、人の心を持った百鬼丸が、
その女性(どろろ)の方へ優しく振り返り微笑むというシーンで終わります。
両腕に刀を仕込む全身作り物の男だった百鬼丸は
取り戻した身体とどろろのおかげで人らしくなっていきました。
「その血にまみれた身体に、鬼ではなく人を宿せ。」と最後に寿海に言われたように
人の心を持てた時に、どろろの夢を一緒に協力できるようになった時に
2人は再会したのでしょう。
「叶うなら、遠くまで」の意味は、(2人の行く先はどこまでも永遠に一緒)
だと思っています。
さいごに
漫画は読んだことがないのですが、
アニメどろろは、イラストも綺麗で表情が繊細に現れていて感情移入しやすく、
挿入歌にも意味があり良い作品でした。
2019年にはアニメ化や舞台化も果たして人気の冷めやまない「どろろ」。
50年近くたった今も愛されリメイクされているのは、
読者の想像をかきたて続ける力があり、根強いファンが多く存在するからなのでしょう。
過酷な化け物退治の話だけではなく、どろろと出会い旅することによって、
百鬼丸の不自由で暗く不気味な様子だったのが、だんだん人らしくなっていくのもよかった。
アニキカッコいいし、どろろのやきもちもかわいい!
百鬼丸とどろろの生活をもっと見てみたかった気がしますが、
まだこれから続く新しい未来に兆しを見せた終わり方で、それも良かったと思います。
歴史的な背景や恋愛、人としての生き方、切なさや悲しみ・・・
人の心をつかんで離しません。
さまざまな視線で見ることができる、さすが手塚治虫作品と思える面白いアニメでした。
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