サンダカン八番娼館 からゆきさんの生きた場所 |
コタキナバル滞在中、時間があればサンダカンへ行きたいと思っていました。 ノンフィクション作家・山崎朋子の新装版 サンダカン八番娼館 (文春文庫)を読んでから、からゆきさんの生きた場所を見てみたかったのです。 |
からゆきさん(唐行きさん)は九州で使われていた言葉で、19世紀後半、主に東アジア・東南アジアに渡って、 娼婦として働いた日本人女性のことを指す(「唐」は、広く「外国」を意味する)。 |
からゆきさんの多くは、貧しい家庭の娘たちでした。 からゆきさん達は、女衒(ぜげん)と呼ばれる人身売買の仲介業に密航させられて日本を出ます。 その費用は、彼女たちの借金となりました。 500円(今の500万円ほど)で親から買い取られ、出国費用は、彼女たちの借金となります。 サンダカン(Sandakan)は、マレーシア・サバ州にある都市でコタキナバルに次ぐ第二の商業都市。 |
サンダカンで亡くなったからゆきさんを含む日本の人々が葬られている日本人墓地です。 商事会社の駐在員 木全徳三さんが、山崎朋子著者の作品を読んで墓地探しをしたそうです。 植物が生い茂り、日本人墓地をなかなか見つけられない中、華人系墓地の手入れに来ていた華人系住民の老人に出会い、 |
「日本人の墓は見たことないが、この山の上の方に、コンクリートで作った箱のようなものがある」 という情報から、この日本人墓地を見つけました。 |
「コンクリートで作った箱のようなものとは、木下クニさんが、墓の近くへ小屋を建ててセメントで水溜めを造り、桶で山から水を引いて、いつ誰かが手ぶらで墓参りに行っても困らぬようにしたというものでした。」 |
中国人のカラフルな墓地を見ながら進んで行くと、南国を思わせる深紅のハイビスカスが咲く日本人墓地と書かれた門が見えてきます。 |
「ひと足外へ出ればいつでも花が咲いとるけん、取って来て、あき瓶に水入れて挿しとった。天草と違うて南洋じゃけん、真っ赤な花が多かったと。」 |
4段め中央の一番背の高い碑が、木下クニさんが身元の分からぬ日本人のために、私費を投じて建てた「無縁法界之霊」。どなたかお墓参りにいらっしゃった方がいるらしく、お花が添えられていました。 |
「からゆきさんたちの墓が100基あるいはそれ以上もあるはずなのに見当たらない。 3段めに有るか無しかの土地の隆起。 このわずかな隆起が、わたしたちの求めるからゆきさんの墓の痕跡なのだ。」 |
幼い時にからゆきさんたちが日本を離れ、お金のために遠い外国まで船で連れてこられ、初めて上陸した港の向こうの日本、目に見える美しいサンダカン湾をただ見ていたかっただけのような気がします。 この向きが反対の山の方向だと、とても不自然に感じました。 |
「サンダカンの海は、底の底まで透きとおってな、それはそれは美しか。うちらは天草ではいっぺんも、海にはいったことはな無か。子どみじゃというても何やかんや働いて忙しかったけんでな。」 |
自分は研究者で身分を隠して取材していて、おサキさんに正体を明かすときとか、自分の顔の傷には深く触れず、人の不幸ばかりを上から見ているような、嫌らしさを感じてしまいました。 |
おサキさんたちが働いていた八番娼館のあった場所は、現在、薬屋さんになっていました。 この場所は、インフォメーションセンターで、ある日本人の方が、丁寧に場所を書いてくれていたのですぐ分かりました。 |
「普段は、昼間は暇でな、寝転んだり遊んだりしておるが、夕方になると、紅おしろいばつけて、店の前に腰掛け持って行って、おもてば通る男ばつかまえるとたい。 」 |
「南洋さん来たこつば不幸せじゃとは思わんじゃった。朝、昼、晩と白か飯の食えたもんな。おかずには、魚さえ膳にのぼったと。」 |