カウラ事件
死への大脱走 (オーストラリア・カウラ事件) |
ここに日本人に知らされなかった悲劇の歴史があります。 カウラ事件は戦争中の捕虜の反乱事件としてあまりにも異常だった為、 戦後長いあいだ日本、オーストラリア双方で極秘にされてきました。 |
「デテクルテキハ ミナミナ コロセ」 |
南忠男は突撃ラッパを吹きながら死に向かって突っ走り、弾丸に倒れ、のどをかききって自らの生命を絶ちました。 「南の国で忠義を尽くす男の意味」と言われた南忠男は偽名。 |
当時、捕虜になること自体が不名誉なことであり、日本にいる家族や親族に迷惑をかけてしまうという考えから、捕虜のほとんどが皆、偽名を名乗ったそうです。 |
南忠男(本名:豊島一) |
オーストラリア軍に捕らえられた日本人捕虜の第1号零式艦上戦闘戦(ゼロ戦)パイロット |
「このパイロットはファーストクラスだ。」被弾し、飛行不能となりながらも、すみやかに機体を操作して無事に不時着する技術に優れていた。 |
カウラの突撃ラッパ―零戦パイロットはなぜ死んだか (文春文庫) 零戦研究家ジョン・ハスレットや研究会員の話より) |
「英語が非常に上手でハンサムで、服装が常に整っていて、きれいに髭をそり、髪を整え、礼儀正しく頭がよく実に好感のもてる男でいい友人だった。」 |
カウラの突撃ラッパ―零戦パイロットはなぜ死んだか (文春文庫)ネグレヴィッチの話より) |
捕虜(太平洋戦争最大の激戦地ニューギニア。 ニューギニアを中心とした日本兵捕虜が送り込まれた。)は、汽車で運ばれカウラに到着。 |
カウラ収容所は町の北東部約3キロに位置し、ほぼ円形。これを十字に走る道 (幅広く縦に割って走る通路「ブロードウェイ」。それを横切るやや幅狭い道「ノー・マンズ・ランド」。) コンパウンドという名で4つに区切られ、鉄条網で囲まれていました。 Aコンパウンド:イタリア人捕虜、Bコンパウンド:日本人捕虜(下士官、兵)、Cコンパウンド:イタリア人捕虜、Dコンパウンドは、中で3つに区切られ、D1:朝鮮人、台湾人捕虜、D2:旧イタリア人捕虜、D3:日本人捕虜(将校)。 |
現在は、野生化されたスイカが転がり、コンクリートの跡地が少し見える草原地帯。 |
そこでは日本兵の多くが、残酷な殺され方をされたり、拷問にかけられると広く信じられていました。 |
オーストラリア政府は、捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約にのっとって 捕虜生活は予想に反して、 |
過酷労働はなく、食べ物はありあまるほどあり、日本人の為に米や魚まで出されました。 |
「収容内のパドックの杭打ちや、運搬用道路の補修作業などで、1日八時間の労働、これに対しては、1日七ペンス半という賃金。収容所内に設けられた売店から、さまざまな日用品、煙草、菓子などを買う」 |
一番人気のあった娯楽は野球、革靴を野球クラブに作り直すのに何時間もかけた。タバコの空き箱で花札、薪を削って麻雀のパイが作られた。拾い集めた廃材を使いギターをはじめとして定期的にあった芝居(「父帰る」「大尉の娘」が収容所内で演じられたの衣装や小道具も作られた。 |
召集前は大工、大工職人、楽器製造職人だったという捕虜もおり、かれらの指導で作ったさまざまな道具類、そして演芸会や音楽会などに使用されたギター、マンドリンなどの楽器は、見事なほどの出来ばえだったという。さらに、兵捕虜たちは暴動後ヘイ収容所に移されたのち、国際赤十字の依頼を受けて玩具や民芸品などを作る、木工製作のグループ活動さえもやっている。 |
待遇もよく、命の保証もあった捕虜たちが手製の野球バットや食事用ナイフを手に、なぜ死に場所を求めて脱走をしたのでしょう? |
それは、暴動決行の12時間前に通告された、「日本兵捕虜を下士官(かしかん)と兵に分離し、兵はほかの収容所に移転させる」という命令が暴動のひきがねとなったと言われます。 |
下士官、兵の分離は、わが国家族制度の破壊にひとしい悲劇である。絶対分離移動には服従できず、断固として抗争するとの意見に決定した。さらに団長が最終的な交渉に行っているが、容れられないときは、戦死を前提とした突撃を決行する。但しこれは投票によって決める。 |
脱走に賛成か反対かは、小さく切ったトイレットペーパーに 「X(生)、○(死)」の多数決無記名投票で決められました。 結果、80%という圧倒的多数をもって暴動決行可決。 |
小島さんは「ばかなことをするもんだなあ」と、ひと言つぶやいて、キッチンへ行って一人で首を吊ったんです。オーストラリア人を殺すのもいやだ、殺されるのもいやだ、そう思っていたんでしょうね。 |
出撃の一時間から三十分前、各班の病弱者、歩行不能者らが出撃可能者たちを前にして、ロープの前に一列に並び、順番に「身を処置」していった。 |
1944年8月5日午前2時 「突撃ラッパ」を合図に、 日本人捕虜集団脱走。脱走前に、ハットに放火。 |
ほとんど武器らしいものは持っていなく、殺されにいくような脱走でした。 |